
①倭国大乱後、北九州から畿内にかけての大同盟「女王国」が成立
②女王国は
・九州奴国(漢の時代[紀元57年]には金印貰ってた文化先進国)
・中国投馬
・畿内邪馬臺
が主体の大同盟
伊都国は女王国の(立地的に奴国の)従属国
>>1
そもそもの話として卑弥呼は実在が確認されたの?
>>1
北九州に倭国の卑弥呼があって、畿内は別勢力だろうに
【後世の地名と一致する所がたくさんある。邪馬臺国の「官」には崇神天皇や垂仁天皇とおぼしき人物も。】
(※書紀編者も天皇と邪馬臺国「官」の近似に気づいただろうが、天皇が有象無象の「官」と同列扱いされてるのは流石に書けないので、崇神や日百襲姫[卑弥呼]を西暦換算紀元前の人にし、神功皇后の活躍を百年早め[神功紀は他国の史書や考古学調査と比較すると100年早くなっている]卑弥呼に比定させた。というわけですね。
実際江戸時代の本居宣長さんは皇紀をそのまま信じて卑弥呼=神功皇后説を唱えてしまっている)
卑弥呼はなぜ消されたか
邪馬台国がどこかわからなくしたのは天皇ってこと?
「馬」の文字は原文には略字で「与」とほぼ同じ文字になってる。
もとは興の中心の「同」が「与」の文字。つまり「投馬」でなくて「投与」。
要するに「トヨ」。地名では「豊の国」。豊前など
人名では「卑弥呼の娘」のほかに「とよ」が付く名前は多い。
誤字をもとに「邪馬台国」ではなく「邪馬一国」と言い張ってる人もいるけど、
投馬ではなく投与と主張する人が少ないのは不思議。
東に別種を無視してるわけね。ないないw
移動の日数からこの説出来上がったらしいが
そもそも移動自体の表現が違ったみたいで
この説は無いと見てる人がいる
おれはフィリピンかインドネシアだと思う邪馬臺国て
どうでも、、、いい
そもそも日本風の当て字な時点で
日本人が書いた資料をそのまま参考に書き写した説が濃厚
卑弥呼は日御子だろ
魏志倭人伝の写本は12世紀のもの
陳寿とは違う文体のものが混ざっている
中国の学者は「写本時に改ざんされている」と断言している。断言
だから7万戸だとか後の大和朝廷っぽいと感じは怪しい
陳寿が使用した一次資料(魏略など)では「邪馬台国は伊都国にすぐ南」
>>85
と一致する
そもそも邪馬台国そのものの景色が出てきたのが注目された理由だから
纒向なんて造りが描写と全く違うだろ
共立された女王という扱いもおかしいし東に海もない
あんまり話題に上らないけど弟と一緒に統治してたってのが重要なヒントに思える
使者が邪馬台国に到着したとは書いてないな
>>110
使者は伊都国など筑紫島(九州)までしか行ってないでしょうね>>64
卑弥呼=神功皇后説は非常に興味深い
女王国はデロス同盟みたいなものでしょうね
邪馬臺国がアテネポジション
大和朝廷が卑弥呼の時代に覇権を握っていたの?
そんな史実はないだろ。
>>150
畿内の覇権は握っていただろうね
魏志書いた人は九州に有ると思って書いてる。
後半の早口な国の羅列が奄美諸島とほぼ一致するから。
でも使者待たせて畿内まで船はしらせてた可能性もあるし。
もし九州に倭30国が集中しているのなら、「遠すぎてわからない国があるんで20国書いておきます」とは書かないだろうしな
あ、いや方角は書かれてないか
九州説が正しかったのだとすれば、超弱小国の寄り合いなのだから三韓に乗っ取られていただろうね
邪馬台国の卑弥呼
大和国の姫巫女
卑弥呼は多分 八女津媛だと思うよ。
みんなと争うつもりはないけど。
当たり前の感覚だからねえ。
土蜘蛛退治で今の天皇に滅ぼされてるし。
ヤマトに近い音で呼ばれていたと思われる地名が多すぎる
九州のヤマト地名があったところを支配してた筑紫君磐井は天皇にボコボコにされてますし
卑弥呼で抜いたなあ
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