2022/07/31 5:00
吉田拓郎が、ついに歌手活動からの引退を表明した。
中略
しかし、音楽評論家として思うのは、吉田拓郎という超大物の引退にもかかわらず、その巨大な功績がしっかりと総括されていない感じがするということだ。
今回は、末広がりGパン長髪兄貴世代を客観的に見ていた、ひと世代下の評論家の視点から、吉田拓郎の巨大な功績を、冷静に捉えてみたい。その縦・横・奥行きを正確に測定したいと思う。先に、本稿のタイトルに対しては、「そりゃもう、すべてが凄かった」と返したいものの、それがちょっと乱暴だとすれば「1970年代前半の吉田拓郎によって、Jポップは基礎付けられたんだ」と添えたい。
1970年代前半の吉田拓郎がもたらした最大の功績は「本質的な自作自演の確立」だ。作詞・作曲・歌を1人でこなすという、つまりは、現在のJポップ市場の核を成す自作自演音楽家=いわゆる「シンガーソングライター」の嚆矢(こうし)としての吉田拓郎。
もちろん吉田拓郎以前にも、作詞・作曲・歌を1人でこなす音楽家は存在した。ただ、吉田拓郎の場合は、歌詞とメロディの両面に、他の誰でもない、借り物でもない、あくまで自分ならではの強烈過ぎる個性を放っていた。つまりは「本質的な意味での自作自演」だったのだ。
まずは歌詞。象徴的なパ○チラインは、デビュー曲『イメージの詩』(1970年)の中で高らかに宣言される「♪古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」。学生運動などに大きく揺れる時代を表現しながら、それ以前の「反戦フォーク」による直截的な文字列に比べて、より文学的/抽象的で、幾重にも解釈の幅が広がり、結果、多くの若者の気持ちをがっちりと掴み取った。
■日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚
また大ヒット曲『結婚しようよ』(1972年)の「♪僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で結婚しようよ」では、結婚というライフイベントを、家と家による保守的な因習としてではなく、自分たちらしく気楽に捉えるんだという、新世代(≒団塊世代)による新価値観に溢れている。
広島から出てきた無名の若者が世に問うた、それまでの日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚。吉田拓郎によるこれら「本質的な自作自演コトバ」の延長線上に、桑田佳祐や奥田民生がいると、私は考える。
続いてメロディ。こちらは、先鋭的な歌詞とは逆に、とても人懐っこく、口の端にのぼるもので、だからこそ、当時の若者の中で一気に浸透した。
続きはソースをご覧下さい
>>1
ギターの下手な人で有名
僕笑っちゃいます
襟裳岬
我が良き友よ
これが売れたのは拓郎のおかげ
>>2
ぼーくぼーく笑っちゃいます~ってやつ?
全てがダサい吉田拓郎の音楽
このひと昔は唄う暴力団って呼ばれてたんでしょ?笑。なんかで見た記憶
早口でまくし立てる歌い方
桑田佳祐の歌のタイトルで知った人
演歌全盛期に森進一にレコード大賞取らせた
この頃は音楽賞にまだ権威があったんだよな
昭和の初期なら誰でもすごいになるだろ
>>11
昭和の初期ではないよね?
ですます調の歌詞は吉田拓郎からだとか聞いたな
吉田拓郎の曲って全部一緒に聞こえるんだよな
YouTubeで若い頃のもみたけど歌は下手だよね なんかがなってるだけで。 それが無頼感あって反体制的なかっこよさで70年代若者にヒットしたのかな?
叔父様 教えて
>>23
反体制は中川五郎だろw
>>23
吉田拓郎は反体制派じゃないぞw
>>23
まあ恋愛の歌は少なく友情や人生の歌があったしルックスも当時は良かった
歌は上手くはないけど声は良い
ワンアンドオンリー
内田裕也も結局何がすごかったのかさっぱりわからないままだった
>>29
フラワー・トラベリン・バンドと
自分が主演の映画のプロデュース
>>29
あれはプロデューサーだから
下駄を鳴らして奴が来る~
時代に恵まれただけの人だろ
吉田拓郎なんてただのアイドルだよ
当時のフォークソングにあったた思想的なメッセージなどは皆無で、
すべて金儲けのための音楽に変えた男だよ
しょーもない歯の浮いた若い男女の恋愛ソングばかりで何の価値もないよ
ライブに吉田拓郎が出てきたらブーイング飛ばされてたからな
本物は岡林信康のほうだよ
>>84
アジアの片隅でとかモロにメッセージソングだろ
あれ怒ってんだよな
>>84
そういうの批判されたからか、もう名が売れてから
気持ちの悪い政治家~どもが~~ とか、わざとのように歌ってたね、まあ別にイイとも思うけどね
>>84
キャンディーズみたいなアイドル好きだったんだよ
でもフォークって、他に武田鉄矢とか泉谷とか、人間臭い奴が多くて悪くないムーブメントだった
>>84
岡林wとかフォークソングwとかを否定して商売にしたから評価されてるのでは?
拓郎より昔のライブで一緒にギター弾いてる人のほうがすごくね?
吉田拓郎は性格の悪そうなのが
遠慮はいらないから温まって行きなよ~♪
しょんべんだらけの湖に〜
フォーライフが傾きかけた時に社長に就任、
とにもかくにも会社立て直しに尽力、アーティスト活動をやめ
水谷豊やなかにし礼などにもレコード出させたのは拓郎
泉谷は「言ってることとやってることが違うじゃねーか」と会社を飛び出す
ハイスクールララバイなど色物もおかまいなしに出しヒット
お礼として僕笑っちゃいますなども提供
当時矢沢は「社長として男しめしてるんだと思ったね」と褒めている
>>212
そんな才能もあったのか・・・・・
投票で決めたら誰もが自分にしか入れないから、会社トップをくじ引きで決めたんだっけ
それで後に順番回ってきて貧乏くじだったのに、なんとか復興させるとは
LOVE LOVE あいしてるに出なかったら世間から完全に忘れ去られていただろうな
ユーミンだの矢沢だのが当時テレビ蹴ってたのは拓郎の真似?
若い人があいみょんを好きなら拓郎の曲も気に入るだろうよ
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